この史料は、『大宇陀町ふるさとメモリー』(平成17年12月発行)より掲載しています。
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旧大宇陀町昭和17年から昭和26年のあゆみ
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主な事業 |
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昭和17年(1942年)
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- 宇陀郡松山町・神戸村・政治村・吉野郡上龍門村の4町村が合併し大宇陀町が誕生。庁舎は旧松山町庁舎を使用。
- 都司太右衛門氏、初代町長に就任。
- 宇陀地方事務所が本町に置かれ、役場庁舎で執務。宇陀郡行政の中心として町は活況を呈する。
- 第2代町長に松尾四郎氏が就任。
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昭和19年(1944年)
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昭和21年(1946年)
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- 自作農創設特別措置法により、第一次農地改革が実施される。
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昭和22年(1947年)
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- 初の首長公選が行われ、嶋田末太郎氏が第3代町長に就任。
- 松山・神戸両国民学校を統合し、大宇陀小学校誕生。新学校制度の施行により町内各国民学校が小学校に改められる。
- 学制改革により新制大宇陀中学校が誕生。
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昭和23年(1948年)
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- 学制改革により奈良県立大宇陀高等学校が創立される。
- 第4代町長、巽龍太郎氏就任。
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昭和24年(1949年)
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- 失業対策事業が始まる。
- 都市計画道路「西町線」(国道166号線)農協大正支所~西山間が開通。
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昭和25年(1950年)
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昭和26年(1951年)
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- 第5代町長、泉徳太氏就任。
- 宇陀福祉事務所が本町に置かれる。
- 昭和天皇大和路巡幸。大宇陀高校で奉迎、森野旧薬園をご見学の後吉野へ向かわれる。
- 都市計画道路「宇太・大宇陀線」拾生~赤砂利間が開通。赤砂利交差点に町内初の信号機が設置される。
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