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宇陀市歴史文化講演会開催 8月24日

ページID:0018159 更新日:2025年7月24日更新 印刷ページ表示

「宇陀市歴史文化講演会」開催のおしらせ

令和7年8月24日(日曜日)宇陀市歴史文化講演会「江戸幕府の困窮村対策と地方名望家の役割について」を開催します。

概要

 宇陀の歴史は、古代から中世にかけて大半は、興福寺や東大寺、春日神社などの寺社の荘園となり、江戸時代に入ると、織田信雄が、宇陀松山藩の藩主として入部しますが、4代続いた後、柏原藩に転封すると、天領地(幕府の直轄地)となり五條代官所の支配を受けることとなります。

 また、吉野郡上龍門村は、昭和17年に松山町、神戸村ともに町村合併し、宇陀郡大宇陀町となりますが、上龍門村は、江戸時代は大和郡山藩領であったことから、他の地域とは異なる部分があります。

 江戸時代の飢饉は、幕政を揺るがす重大事事態であるとともに、地方の農山村では人命にかかる大問題となります。特に、宇陀は大半が山林に囲まれており、決して生産性の高い土地ではありませんでした。

 こうした中、全国の大庄屋(庄屋を束ねる存在)は、幕藩、寺社に対して、民衆の意見を聴いて、租税や借入金等の減免や猶予を求める役割を果たしていきます。

 いわば大庄屋とは、役所、警察、消防、税務署、保健所などの役目を担っており、地域住民の相談役としての役割を担いながら、また時には、「一揆」の対象にもなります。

 今回は、「江戸幕府の困窮村対策と地方名望家の役割について」と題し、江戸時代に飢饉などで村が困窮した際、大庄屋などの地方の名望家がどのような動きを行ったのかについて、奈良県指定文化財である「片岡家文書」に記載されている事柄なども交えて、東北大学経済学部・大学院経済学研究科の酒井一輔准教授に講演をいただき、「大庄屋としてのイエの役割」に焦点を当て、江戸時代の宇陀の歴史を考えます。

 
日時

8月24日(日曜日)

受付時間 13時~  講演時間 13時30分~15時

場所

宇陀市文化会館 研修室

講師

酒井一輔氏(東北大学経済学部・大学院経済学研究科 准教授)

定員 60人(当日先着順)

開催チラシ

宇陀市歴史文化講演会チラシ (PDFファイル:35.64MB)

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